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報告 知的障害のある人の自立生活について考える会 第3回ONLINEサロン

「コーディネーターの役割と実際」

知的障害のある人の自立生活について考える会

第3回ONLINEサロン「コーディネーターの役割と実際」

日  時 2021年12月9日(木)19:00-21:00

プログラム:前半 話題提供、後半 グループセッション

 

話題提供 廣川 淳平さん(日本自立生活センター JCIL)

聞 き 手 安藤 卓雄さん (知的障害のある人の父親/行政職員)

進  行 田中恵美子さん(東京家政大学)

 

 

 

(話題提供より)※ 一部補足を含む

Q 自立生活のコーディネーターとは。自己紹介を交えてお話を。 

A 公の制度にはないCIL(自立生活センター)独自の職。公的なイメージとしてはサービス提供責任者に近いが、CILではコーディネーターと呼んでいる。自分はまず介助者としてスタートし、通算して今年で18年目になる。これまでに8名の方の自立生活の開始に携わった。

 

Q コーディネーターは自立生活のスタートをどのようにサポートするのか。最初に行うことは何か。

A 本人に明確な自立生活の希望がある場合、本人と話をしながら、必要に応じて親御さんからもお話を聞き、「暮らしの予想図」を作る。一週間の予定表に、今の暮らしとこれからの暮らしの予想図を書き込んでいく。

 

Q 予想図には、どのようなことを書き込むのか。

A まずは住まいの場所を書き込む。多くの場合、既に日中活動の場が定まっているので、そこへの移動も踏まえて「どのあたりに住みたいか」という話もする。

次にお金のこと。収入状況や貯蓄の状況などをざっくりと聞き取り、生活保護の申請が近いのか遠いのか、見通しを立てる。もし所持金や収入が少なくて生活保護の申請が近いなら、京都市の住宅扶助が基本的には4万円が上限になっているので、家賃4万までが住まい探しの条件の一つになる。

次に介助について。日中活動の場への移動手段・時間も考えながら、一日のうちのどの時間に、どのようなことに介助を使ったらいいか、本人はどのような過ごし方や役割を持つか、など介助を受けながらの生活のイメージを具体化していく。

 

Q できあがった予想図は、その後どう使うのか。

A 本人がそのプラン(予想図)を見てきちんと「自分のプランだ」と意識できるなら、それが「セルフプラン」ということでよいと思っている。セルフプランの様式は本人の障害状況によっては言葉をかなり易しくしたり、レイアウトをシンプルにしたり、ひらがなに変えたりと沢山の工夫をした方がよい。

セルフプランの良い点は、本人が自分のわかる・納得のいく言葉で作れること。一方で欠点としては、事業所探しや各種トラブルの時に相談支援員さんに頼れないこと。

 

Q 自立生活の立ち上げからその後の生活まで、どのような人たちと関わりを持つか。

A 

① これから本人の介助に入ってもらう「介助者」の皆さんと目標の共有をする。

② JCILの小泉所長、渡邉琢さん、コーディネーターの方々にアドバイスをもらうことも多い。

③ 金銭管理の支援のメンバーとして「社協さん」や「成年後見人さん」に関わってもらうこともある。

④ 協力してくれる「かかりつけ医」。区分認定の見直しや、サービス等利用計画を非定型審査会にかけてもらうための資料作りの際に、医師の意見書が必要になる場合がある。

⑤ 既に自立生活を楽しくやっている方に、暮らしの様子を見学させてもらう。

⑥ 住まい探しの際に協力してくれる「賃貸物件の業者」も大事。

⑦ お金がない場合は生活保護を申請するため、一旦どこかに居所を構えて生活をしないといけないが、京都にはそのための場がある。そこを住所として生活保護の申請をする。

⑧ 本人の「ご兄弟」に家賃支払いの補填の宣誓書みたいなものを書いて頂いたこともあった。本人の収入だけでは物件の収入要件を満たせないという時に使った方法。

⑨ 同僚や友人に生活に必要なものを譲ってくれる人はいないか呼び掛ける。自立生活はどうしても始めがかなり物いりになるので。呼びかけたらわりとちょこちょこ集まった。

⑩ 本人の通っている作業所・デイなどの担当の方や、他の居宅介護事業所、訪問医療・訪問リハビリなど。

⑪ 「相談支援員さん」。セルフプランで進める時もあったが、一方で、相談支援員さんと協力しあえるとかなり楽だった。サービスの事業所を探してもらえるだけでも大助かり。

⑫ 「支援センター」の方々。親からの虐待や急な親御さんの入院など、非常に困難な切迫した状況にある時、支援センターの人に相談したら、決して見捨てず、何とか一緒に考えようとして下さるので、本当に心強かった。京都市では圏域(●●区)ごとに「障害者地域生活支援センター」という社会福祉法人がある。

 

Q 自立生活を進める中で、ご本人にはどのような変化があるか。

A 自分が関わったAさんの場合、父親の急病で急遽、自立体験室から介助者との生活を開始したが、当初は不安しかなかった。それが、料理、買い出し、入浴と、介助者とやりとりしながら自ら進める、ということに徐々に慣れていって、まわりから「頑張ってるなぁ」と褒めてもらえることもあり、「自信」が育っていった。

それから7年が経つ中で「〇曜日には●●さんが介助にきて、△△をする」とか、「今度の土曜日には■■に遊びに行きたい」とか、「★★さんと一緒にご飯を食べたい」などと自ら言ってくれるようになった。これらは毎日、自分が主体となって生活を送る中で少しずつ身に着けてこられたからこそ身についた力である。当初の「何をどうしたらいいか分からんことばかり」の状態から少しずつ育ってきて、今では大きな変化と思える。

 

Q 自立生活を始めるときに、最も苦労することは何か。

A どこまで準備していても、次から次へと大小様々なことが起きる。現場の介助者も頑張ってくれるが、基本的には介助者は介助時間が終われば退室する。現場で本人の意思を確認するだけではどうしても滞ってしまい、結局は何かを「決める」「進める」存在として、コーディネーターが担うことが増えてしまう。

そうなると帰宅が遅くなったり休日が消えたりして、家族に多大な負担をかけてしまう。僕はこれがかなり辛かった。やらないといけないこと、やりたいことをやっていたら、自分の家族との時間はどんどんなくなっていった。

コーディネーターはとてもやりがいのある大切な仕事だが、自分としては、ゆったりした時間の中でご本人と関わるひとりの介助者に戻りたいなあ、と懐かしく思うこともある。

 

【廣川さんからのメッセージ】

「今回、お時間を設けていただき、そこで何をお話しできるか考えこみました。

コーディネーターの仕事は多かれ少なかれ、その方の生活全般に関わってきますし、また、関わる相手の方によって、必要なことが全く変わってくるからです。一般化して話すのがとても難しいと感じました。

長期にわたってつきあい続ける中で様々なことも起こり続けるので、それこそ話し始めたら話題は尽きないのですが、思考をつきつめていく中で、今回は特に「意思決定支援」について考えを深めることになりました。

そもそも障害が重かろうか軽かろうが「意思」は必ずあるわけで、「意思決定できる」「できない」という書き分けはおかしいのかもしれない、と考えました。意思のアル・ナシではなく、見え隠れするその人の「意思」を関わる人達がくみ取れるかどうかで生活が左右されるのかもしれません。関わり合いの中で「本人が意思決定ができるようになっていく」のではなく「関わる私の方がその人の意思に気づけるようになっていく、想像・推測できるようになっていく」ということなのかと思います。

 たとえばAさんのエピソード紹介の中で、一カ月の予定を「横長の巻物」の形にしたらスケジュールが分かるようになった、という表現をしたと思いますが、これもとらえ方を正すと、「Aさんと私が、時間・日にちの流れを共有し、語り合えるようになった」ということでした。そもそもAさんはAさんのやり方で自分の暮らし・過去や未来を把握していたはずです。ただ、私が健常者社会の中で習得した「メジャーなやり方」とは異なっており、うまく共有することができていませんでした。それがたまたま、横長の巻物形式によって「二人で一緒に見ながら予定を確認する」ことができるようになったわけです。(これも厳密には、やっぱり「Aさんの理解の仕方」で、予定を理解されているのだと思いますが)

 本来、私にとっては、相手と何かを共有できることそのものが嬉しいのです。たとえば言語障害を聞き取れるようになってくると、独特の達成感があります。相手にとって心地よい介助ができるようになると、そのような様子が見て取れますし、やはり嬉しいことです。そういう、一歩ずつ階段をのぼっていくような、「自由の実現」に近づいていくような、そういう感覚です。

 例えが適切かわかりませんが、たとえば「手話」はろう者のためにあるものでなく、双方向のコミュニケーションがとれるようになるためのもので、私たちのためのものでもあります。知的障害のある方の生活上のいろいろな工夫も、同様だと思います。相手のためだけでなく、同時に関わる私たちのためにもなっているということです。うまく言えないのですが、相手との関わりを表す時に優劣の意味合いを含まない言葉で、物事を語っていけたらいいと思っています。

 指示を明確にされる方のもとでその方の手足に徹する介助にも達成感・充足感はありますが、相手の意思をくみ取れるように模索する介助にも、これもまた、独特のワクワク感があります。知的障害のある方の支援では介助者自身の意思・考えを求められる状況も多く、これはけっこうエキサイティングなことです。支援のありように関わる人々の「個人差」が出やすいのですが、それもまた、差によってその方に苦しい混乱が生じないのであれば、「いろんな人と一緒に暮らしを作って行けることで、暮らしの「幅」が出る」とポジティブに捉えられたらと思います。

 ……と、また長くなってしまったのでこの辺りで切り上げますが、これからも皆さまと色々なお話しができると嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。